どうなるシリーズ

どうなるこの国の障害者福祉

―障害者制度改革とは何だったのか―

今年度(平成25年度)は、わが国の障害者福祉施策が大きく変更されて10年目になります。具体的には平成15年度からの支援費制度を皮切りに障害者自立支援法に至り、そして又、この4月からの障害者総合支援法への大変更でした。実質的にはわずか9年の間に大きく3度の変更が加えられたことになります。わが国の障害者福祉史上例をみない激動の10年であったと言えます。このため、障害当事者、家族はもとより障害者支援事業にたずさわる多数の事業者、私たちも実務上日々刻々と変更を求められる事態に相当の困惑や混乱を強いられたものでした。いつまでも落ち着かない仕組みに強い苛立ちをおぼえたものです。

 すべての物事は移りゆくもの、という極めて当たり前の事が、この10年の障害者福祉分野で現実のものとなりました。
 第2次世界大戦後、約60年間、長きにわたって営々と維持され続けてきた(守られてきたというべきか)わが国固有の福祉システム「措置制度」が、平成15年度の支援費制度の導入によって一挙に崩壊してしまいました。多くの関係者の不安や反対の声をよそに、国はそれに代わる手立てとして「契約利用制度」という、いわば欧米型の福祉システムを新たに採用しました。
 以後、この契約利用という考え方とあり方を福祉制度の根幹に据えたまま、大小様々な見直し、手直しを繰り返して今に至っているのです。

 昭和60年前後(約30年前)から、特別養護老人ホーム等、施設入所高齢者への職員の虐待問題や寝かせきり問題が頻繁にマスコミ等でとりあげられるようになりました。そしてこれらの元凶は「措置制度」にあると指弾され、世上、わが国の福祉システムが疑問視され、問題化されるようになりました。
 「福祉の護送船団方式」、「競争のないところに質の向上はない」、「利用者本位を譲れない」等々、措置制度への批難がうずまきました。
 さらに平成になってからはわが国の厳しい財政状況(多額の公債の存在や不況による歳入不足など)を理由に、時の政府は断固たる行財政革改、聖域のないあらゆる法制度の基礎構造改革の必要性をしきりに訴え、社会保障、社会福祉も決して例外ではない、との強いメッセージを国民に発するようになりました。
 今にして思えば、かつてのこれら一連の動静は、わが国の社会福祉のありよう全てを「保険型契約型システム」に転換するための国の入念周到な布石、事前の準備であったと言う他ありません。
 このような諸事情を背景に、まずは高齢者福祉施策の、いわばパラダイム的転換の準備が企図され、平成15年度の「介護保険法制度」の策定実施につながってゆきました。
 介護保険制度の発足以降、国は当時同時並行的に進んでいた※1国際的な動きを強く意識しながらも、しかしそれらの「利点、積極面」だけを巧みにとり入れる手法でわが国の障害者福祉施策の根本的な改変を具体的に準備するようになりました。そして平成15年度、いよいよわが国の障害者福祉から「措置」が排除され、介護保険と同様の契約利用システム「支援費制度」の創設、施行に至りました。
 ただし、支援費制度はあくまでも国が本当に意図する改変法制度への前座的役割で、その後わずか3年後に実施されることになる「障害者自立支援法」こそが真打ちでした。そこにはこのシリーズでも再三指摘させていただいた、関係者にとってはとうてい※2受け止めがたい大問題が制度の理念や構造に多数含まれていたのです。矢つぎばやに示されたさらなる改変制度案「改革のグランドデザイン」によってそれらは明らかになりました。

これまでの実質9年の歳月の中で、私たちが肝に銘じておかねばならない出来事がいくつかありました。そして、それらの事実がわが国の障害者福祉施策の後退を、あわやの局面でおしとどめ、その上で反攻に転じて何とか今日ある水準にまでおし戻すことができたことです。
その重要なひとつは、わが国の数ある障害者団体、組織の大同結束と政府への組織的、継続的アクションの実現です。このような統一したとり組みはおそらくはわが国の障害者運動史上はじめてで、大変画期的な出来事でした。
 様々な事情で交流がかなわず、時には厳しい反目や対立にまで発展していた各障害者団体、組織が前述の「改革のグランドデザイン」の発表をきっかけに事の重大さや問題の認識を共有しての大同結集が成りました。そしてその後の障害者自立支援法をめぐっては、その施行の阻止を、又施行後は間髪を入れずの抜本見直しを求めて全国的な大運動を展開することができたのです。
 そして今ひとつは、日本政治の劇的な変化でした。すでに過去の出来事になってしまいましたが、久しく実現しなかった政治、政権の交代です。
 新政権は平成21年9月に発足しました。総選挙の公約に従ってわが国の障害者法制度の「前向きで全面的な改革」の旗をかかげての船出でした。平成19年に前政権が署名した「国連―障害者の権利条約」を近い将来には批准しなければならない、という大変重い課題を抱えていたためとはいえ、当時の新政権はとても前向きでした。早々に障害当事者等多数の関係民間人が参画する各種会議を立ち上げ、又平成22年1月には障害者自立支援法を違憲とする各地の障害当事者訴訟団と和解。国としての深い反省を表明すると共に主に4つの約束までとり交わしたのです。
 これらの主要な出来事(相互に関連しあってはいますが)が平成18年度に強行実施された障害者自立支援法のたび重なる改善、改正を余儀なくさせ、あわせてわが国の障害者法制度の全般的な改革を現実化させていきました。
 障害当事者、家族、そして私たち関係者が一斉に立ち上がってたち向かい、又、政治が変わることによっても「山」は動いたのです。激動期における貴重な教訓でした。

 とはいえ、本当の改革にはいまだ道半ばです。
 障害当事者や家族にとってはどの改正法制度も決して満足できるものではありません。詳述はできませんが、法文には何かしらの抜け道やあいまいな表現も多く、せっかく興された各会議での参画者たちの意見や提言が反映されたとは言いがたい結果です。障害者福祉施策の憲法ともいうべき肝心の改正障害者基本法(平成23年成立)は全く期待だおれでした。先年の政権交代時に約束された障害者自立支援法は廃止されるどころか、内容のほとんどをそのままに看板のすげかえ(障害者自立支援法を障害者総合支援法)だけの「改正」に終りました。
 昨年10月に施行された「障害者虐待防止法」についても、その主旨や目的の高さとは別に具体的な対応体制、支援体制は大変脆弱で、明らかな準備不足を露呈しています。はたして徐々にでも充実する見込みはあるのでしょうか。
 さらに、残された大きな課題、障害者差別禁止法の策定についても雲ゆきがあやしくなっています。またぞろ立法主旨を逸脱しかねない法律名称のさしかえ議論(禁止法→解消法)が見えかくれしています。いったい国連―障害者の権利条約の理念がどこまで反映されるでしょうか。

 いつの間にか政治にも大きな変化がおきていました。いつの間にか元政権が復活していました。そしていつの間にかわが国の生活保護制度が「世間」のバッシングにあっていました。合理的な根拠が示されないままに憲法で保障された「国民の最低限度の生活水準(基準)」が大きく切り下げられようとしています。
 「世間」につめたい風が吹きはじめています。「経済」のことしか言わない現政権にとって、社会保障、社会福祉はどのように位置づけられているのでしょう。
 「ここまできた」わが国の障害者法制度「改革」。しかしながら、国はいまだ道半ばとの認識で(国連―障害者権利条約の批准をめざして)さらなる「改革」へ歩みつづける意志があるのでしょうか。
 どうやら国は「世間」に便乗して「改革」のベクトルを反転させそうな気配です。すでに生活保護制度につづいて介護保険制度の「改悪」も議論されはじめています。
 少し弱火になりつつある私たちのとり組み。自覚的な再燃が今必要です。

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