どうなるシリーズ

どうなるこの国の障害者福祉

 

本当にどうなっていくのか、わが国の社会福祉

 

「知的障害のある高齢者」の生きる場所がありません。子もなく、親をも亡くした「孤独な高齢知的障害者」が安心して住いつづけることができる「暮らしの場」がこの国のどこにもないのです。

 

近年、知的障害のある人達の長寿化―高齢化が進んでいます。その背景や理由は、障害のない、いわゆる一般の人達の場合と何ら変わりません。又、「加齢」ゆえの罹患やその慢性化、さらには各種の「事故」等の結果様々な医療や看護、介護が必要になる(要看護・介護化とする)、という事情もまったく同様です。

老人福祉法や介護保険法等の法制度により「高齢者」への医療や福祉政策は、万全とはいえないまでも準備はされています。「知的障害のある高齢者」も、原則、満65歳を超えるとこれらの制度を利用することができます。この点も障害のない一般高齢者と同じです。「高齢知的障害者」であっても福祉制度としての「暮らしの場」―介護保険施設等は用意されているのです。

ところが、この「暮らしの場」の利用は、とくに「知的障害のある高齢者」にとっては容易ではありません。施設の絶対的な不足(近年の高齢者の著しい長寿化、要介護化に対応できず、きわめて多数の利用待機者が存在)に加えて、知的障害という障害そのものが利用を困難にさせる何らかの要因になっているようにも考えられます。とくに通常の介護とは異なる支援が必要、とされる障害の重い人達にとっては一層深刻です。(※注1)

 

知的障害者はいわばマイノリティー(対人口比で少数派)です。かつては「高齢知的障害者」は、その中においてさえ少数でした。そのため、「高齢者」一人ひとりの実情に応じた個別の支援によって、それなりの「暮らしの場」が確保されていました。又、わが国の家族制度のもとでは、たとえ何があっても誰かが暮らしを支え、最後まで自宅ですごすこともできていました。

ところが、今日、その様相は大きく変化しました。

 

知的障害のある人達の入所施設(生活施設)は、今や国の大きな政策転換によって向後の増加の見通しはまったくなくなりました。あらたに必要とされる人達の「暮らしの場」として位置づけることができなくなりました。

あまつさえ、既設の入所施設の多くでは、現に入所中の人達の「高齢化、要看護・介護化」への対応に頭を悩ませています。「入所施設の次の場」を求めて、しかし次の行き場がない、という大変厳しい現実に直面しているのです。

そもそも、国は入所者の、入所中に進む「高齢化」、その結果としての「要看護・介護化」を想定し、その備えを施設の諸基準に含めてはいません。施設の物理的な基準や環境、職員の職種や配置基準、さらには医療の提供体制等、基本的な支援体制はほぼ旧来のありように据え置かれたままです。これでは入居者の心身の変化に対応できるはずがないのです。

 

グループホームの諸基準や運営報酬、さらには職員等、支援体制の実態は入所施設の比でさえありません。国は地域社会での最良の「暮らしの場」として大いに喧伝し、その推進に余念がありません。しかし、現状のグループホーム制度はその根本的、構造的な劣悪さ、欠陥によって、そこで住い、歳月とともに加齢し、「要看護・介護化」状態になってゆく人達に、その状態に応じた適切な支援を提供することはとても困難であるとせざるをえないのです。

 

つまり、地域社会(自宅等)に住まっている人も、入所施設やグループホームで暮らしている人達も、「高齢者」となり、そしてその結果「要看護・介護」状態になった場合には、頼るべき子も親もいない知的障害者にとっては、安心して暮らしつづけることのできる「住処」は、悲しいかな現在のわが国には皆無であるというほかないのです。(※注2)

 

今、国の社会保障審議会障害者部会で障害者総合支援法の「見直し検討」がすすめられています。

平成24年6月、総合支援法の成立に際して衆参両議院の厚生労働委員会で採択された付帯決議、「法施行後3年目の見直し検討の実施」にもとづくものです。大きな枠組みの10項目が検討の対象です。すでに会合が重ねられ、この年末には議論が整理され結論が公表される予定です。

10項目のいずれもは大変重要なテーマです。私達はその中でもとくにふたつのテーマに強い関心を寄せています。ひとつは「常時介護を要する障害者等に対する支援のあり方」。そして今ひとつ、「高齢の障害者に対する支援のあり方」です。

はたして、議論のゆくえは。何をどのように見直すべき、との結論が示されるでしょうか。実態を直視した真摯な見直し論が提起されることを願うばかりです。

 

総合支援法成立時の付帯決議のひとつは、「障害者の高齢化、重度化や『親亡き後』も見据えつつ、障害児者の地域生活をさらに推進する観点から、ケアホームと統合した後のグループホーム、小規模入所施設等を含め、地域における居住の支援等のあり方について早急に検討を行うこと」という内容でした。

にもかかわらず、それが翌、平成25年の国の(※注3)「検討会議」では「小規模入所施設」の言葉や考え方は一切消滅。(※注4)「地域生活支援拠点」事業(?)という、何やらつかみどころのない事業(?)、その推進を「居住の支援」の柱、として位置づけたのです。付帯決議が求めたあり方、その内容が根本のところで変えられてしまったという印象です。

もとより障害者の地域での暮らしを支えるとりくみはきわめて重要です。しかし、この「生活支援拠点」事業(?)で「知的障害のある高齢者」の安心、安全でしかも安定した「暮らしの場」を準備することは絶対に不可能です。「生活支援拠点」事業(?)はあくまでも「暮らしを支える機能」であって「場」ではないからです。

「暮らしの場」の確保という不可欠で根本的な政策課題こそが検討されなくて、今何を検討するというのでしょうか。

「高齢障害者に対する支援のあり方」は「高齢障害者の暮しの場の保障のすすめ方」と読み替えられて議論されるべきです。それこそが現実にむきあった実のある「見直し検討」といえるのではないでしょうか。強くそのことを訴えます。

国は「高齢知的障害者」の行き場所がないという、もはや人権侵害ともいうべき大問題をいつまで放置しておくつもりでしょうか。

 

【文責 吉川喜章】

 

※(注1)

○高齢者介護施設の中核的な施設―特別養護老人ホーム

○堺市内に33施設 合計定員数 2451人

○うち17施設における定員数  1328人―うち療育手帳の所持者(知的障害者)もしくは知的障害の疑いのある入所者(職員の判断で)数 12人―利用率0.9%

○33施設2451人のうち知的障害者(疑いを含む)推計者22人―利用率0.9%

(平成26年2月~8月 生活の場を考える事業者懇談会調)

詳しくは吉川までお問い合わせください。

※(注2)

しかしこのような現実はひとり「知的障害のある高齢者」だけの問題ではありません。わが国の高齢者福祉の今日的な問題で大きな課題です。

この点はしっかりとおさえておかねばなりません。

※(注3)

障害者総合福祉法の付帯決議を受けて取りまとめられた「障害者の地域生活の推進に関する議論の整理」(障害者の地域生活の推進に関する検討会)

※(注4)

①相談(地域移行、親元からの自立等)

②体験の機会・場(ひとり暮し、グループホーム等)

③緊急時の受入れ・対応(ショートステイの利便性・対応力向上等)

④専門性(人材の確保・養成・連携等)

⑤地域の体制づくり(サービス拠点、コーディネーター配置等)

以上の機能を拠点施設に集約、もしくは点在するそれぞれの機能の効果的な連携―市町村事業として考えられている(-市町村、もしくは福祉圏域に少なくとも一ヶ所設置すること、と国が要請中)

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