どうなるシリーズ

どうなるこの国の障害者福祉

―どうなる堺のショートステイ―

年もおしつまった昨年12月18日。堺市役所周囲の歩道上に400人にもおよぶ多勢の障害当事者、家族、そして障害者施設の職員等が集まりました。

 その日は年の瀬の寒風が膚をさし、身を切るようなとても厳しい空模様でした。

 「集り」は堺市内の多くの障害者施設で組織された「堺障害児(者)施設部会―当法人・施設も加盟」のよびかけに応じた堺市行政への抗議活動です。

 歩道から市庁舎にむかって障害当事者が、そして家族等がかわる代るに声をはげまして訴えました。又、通行中の市民や昼食時、庁舎を出入りする市の職員達には訴えの主旨を記したビラを配布して理解を求めました。

 私たちの主訴はふたつです。ひとつは「堺市内に障害児者のショートステイをふやして下さい」。そして「そのための―ショートステイ事業の拡充―費用を市の来年度予算に計上して下さい」。



障害児者が地域であたりまえに暮らしつづけることができるためにはショートステイ事業・施設の存在は欠かせません。突然、にわかな出来事で、家族が一時的に障害児者の身のまわりの世話等ができなくなる時(たとえば家族の病気、入院、不幸、あるいは親戚の不幸など)、さらには明日につながる家族のひとときの心身のレスパイト、そんな時のためにも今日、ショートステイ事業・施設はなくてはならないものなのです。

 堺市内には現在95人分のショートステイが整備されています。しかし、人口84万人、知的障害児者だけでも6000人をこえる(2011年3月―堺市資料)現況においては、事業・施設が充足しているとはとても言えません。

 現に、市内のショートステイは常に満床状態です。そのため事業者、職員は心に大きな痛みを感じつつも日々切実なたくさんのニーズを「切り捨て」ている状況です。
 緊急性の高いケースであっても利用は容易ではありません。事前の「利用予約」さえおぼつかない現状です。家族にすればこれほど理不尽で腹立たしいことはないでしょう。利用できない多くの家族から「堺のショートステイは『あってないもの(ある母親)』」と批難されて当然です。

 既設のショートステイを利用できなかった家族はやむなく他市、他県の、遠隔地の施設を求めざるをえません。あるいは最終的に利用そのものをあきらめることになります。いろいろな状況で家族の心身の負担は一層大きく、そして深刻化し、場合によっては不測の事態さえまねきかねないのです。

 日によっては欠員の生じている施設も確かにあります。が、しかし、それは諸事情による突然のキャンセルなどの結果であり、又、施設の物理的、人的条件の脆弱さゆえにどうしてもニーズを受け入れることができなかったためです。やはり、結果的に空床が発生したということです。

 95人分が日々満床ではない、という表面的な現象だけを根拠にショートステイ事業・施設は充足しているのではないか、という評価(堺市行政)は全く的をえていません。




「堺市内のショートステイは絶対的に不足しています。すみやかな整備は喫緊の課題です。」私たちはかねてこのように市に訴えつづけてきました。

 そんな中、堺市は「堺市障害者等実態調査(2010年9月~10月)」の結果や障害福祉事業者、団体等関係者等との議論(障害福祉計画策定こん話会)をふまえて「堺市第3期障害福祉計画」を策定し、2012年度からむこう3ヶ年度(~2014年度)のショートステイ事業・施設の整備推進を公式に打ち出しました。

 そして、この福祉計画をもとに、本年度、私たちは市の障害福祉部局と具体的な整備方針や内容を協議検討し、2013年度以降の施策方針を共有することさえできたのです。

 これでいよいよショートステイ事業・施設の有効な整備が可能になる。障害児者の地域生活がおびやかされたり家族が不合理ながまんやあきらめを強いられることがなくなる。ひいては家族等の心身の疲弊やストレスが軽減される。不測の事態を案ずることもなくなる。と喜びもし、堺市に大きな期待を寄せてもいました。




ところが、です。

 フタをあけてみれば、です。

 堺市の来年度予算にはショートステイ事業・施設の整備にかかる費用がいっさい計上されないことが判明しました(12月当初)。あまつさえ、ショートステイに関しては来年度のみならず、その後についても「市の守備範囲ではない」という市の中枢部の声さえもれ聞えてくるしまつです。




はたして市の福祉計画とは一体何なのでしょう。この計画は障害者自立支援法で定められた地方自治体が策定義務を負う計画です。そんな必須計画であるにもかかわらず、それが実質的に担保されないものであってよいのでしょうか。これでは計画は単なる宣言であり、努力目標でしかありません。又、一年もの時日を費やした「こん話会」での議論にどのような意味があったのでしょう。今から思えばこれも又、計画づくりのアリバイ工作であったと断ずるほかありません。




はたして「声」は届いたのでしょうか。12月の行動を市はどう受け止めたでしょう。存外、歯牙にもかけないという態度かも知れません。

 住民の命や暮し、その安全や安心を直接担うことが自治体の責務です。その堺市が市民の苦悩にむきあわず、又かえりみないとなれば市はその存在意義を自ら否定することになります。ここは不要不急にして莫大な費用を伴う大規模箱もの整備をさしおいても、福祉行政施策をこそ優先すべきです。

 堺市には猛省を求めます。「不作為」はゆるされません。


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